第1回吹田だんじり祭開催! ~開催までの3年間の軌跡~
昨日、「第1回吹田だんじり祭」が開催され、3年ぶりに5基のだんじりが曳行されました。
先日もブログに書きましたが、令和元年夏までJR吹田、江坂、千里南公園の3会場で行われていた旧吹田まつりは第50回で幕を閉じ、現在は、「すいたフェスタ」と名前を変えて万博に移転しました。
コロナの影響でまだ1度も開催されていませんが、旧吹田まつりの後継まつりは「すいたフェスタ」であり、今回の吹田だんじり祭は完全に新しい祭となります。
令和元年までは、その旧吹田まつりのパレードの中で吹田のだんじりを6基曳行していたわけですが、万博に移転したことで、だんじりの曳行の機会が無くなってしまいました。
そこで、何とか江戸の天保年間から続く、吹田だんじりの伝統文化を次世代の子供たちに残したい、自分達の代で途絶えさせたくない、地域の賑わいを維持したい、そういった思いから、超党派による だんじり議連(自民、公明、維新、共産)を令和元年秋に結成、会長の大役を拝命し、だんじり実行委員会の皆様と共に開催に向けて準備を進めてきました。
令和2年は商店街の皆さんと共同で実行委員会を立ち上げましたが、コロナの影響で中止。令和3年はだんじり実行委員会単独で開催を進めましたが、これもコロナの影響で中止。
今年こそはという思いで、準備を重ねてきましたが、今年も開催日直前に府の赤信号が出るなど厳しい状況となりました。ただ、イベントの自粛要請は出ていないことから、最大限の感染防止対策を講じたうえで、実施することを実行委員会で決定しました。
これまでの市主催の吹田まつりの中でのだんじり曳行は、準備から資金繰りまで大半が市や旧吹田まつりの実行委員会にお任せで、受け身の部分があったかと思います。今回は、祭りが行政の手から離れたことで、一から実行委員会を立ち上げ、予算も必死に協賛金を募り、だんじり関係者で駆けずりまわった結果、地域の企業団体個人の皆様の大きなお支えがあり、何とか昨日を迎えることができました。
当初から、5基のだんじりの曳行だけでは観客はあまり来ないのではないかという不安があり、また祭りの日には夜店は欠かせないだろうということで、各商店街、吹田バル関係者、若手経営者、大和大学の学生さんにも声かけをして、同日同時間帯に「何でもいいからイベントをして欲しい」と頼みました。
いち早く、旭通り商店街さんが「夜店ランド」の実施を決定してくださり、また、吹田バル実行委員会さんも本来は秋に開催しているバルを「ミニバル」として24店舗限定で開催を決定してくれました。
その後、今年の4月に入り、さんくす名店会さんが「吹田さんくす夏祭り!2022」、私も実行委員会に名を連ねている20代の若手経営者と学生さんによる「ダンスイベント‐WADACHI-轍」の開催がメロード前で決定し、規模感で言えば、旧吹田まつりに近づけることができました。
その後も、業務スーパーさんが子供向けの縁日を、また地域の飲食店さんが店先でビールや焼き鳥を提供するなど、その輪は日を経つにつれ、広がっていきました。
旧吹田まつりとの違いとしては、錦通り商店街や旭通商店街の通行止めができなかったことで、商店街側の夜店やイベントが限定的になりました。
通行止めに関しては、来年以降の課題として、警察と密に協議し、必ず旧吹田まつりを超える規模の地域に愛される伝統文化に根差した祭りにしていきたいと思います。
ただし、課題は山積しています。
今回は5つの実行委員会がそれぞれ、開催日と時間だけを合わせる形で準備したため、横の連携が取れていないこともありました。また、各実行委員会がそれぞれ協賛のお願いに回るため、複数の団体から頼まれた企業さんにとっては分りにくかったかもしれません。
そして、何よりも「通行止め」のハードルが非常に高い。市主催ならまだしも、一任意団体主催のお祭りですから、いくつものハードルを越えなければ許可は下りないでしょう。
自分なりに、今後の進め方についてシュミレーションはしていますが、今の時点では何とも言えません。
一つ言えるのは地域の理解が必要だということ。
今回は、地域の企業、団体、自治会、学生さんたちの力が結集したからこそ、開催できたと思っています。引き続き、皆さんと力を合わせて、今回以上の「第2回吹田だんじり祭」を開催できればと思います。
また、最後になりましたが、この場を借りて、ご協賛ご協力いただいた全ての皆様に心より感謝申し上げます。